私たちは、歴史のなかに生きている。だが歴史のなかに生きるとはどういうことだろう。
例えば日本の平成という時代に、ある両親のもとに生まれ、かくかくの地域に育ち某という学校に通い、ある会社に勤めている。この場合「わたしのいる歴史」とは、こうした所属についての年代記のようなものになるのだろうか。
私は確かに、何かに由来し何処かに所属し誰かの下にいるだろう。けれども私はそのことについて自ら思うところがあり、自ら振舞うことができる。だから「わたしのいる歴史」という言葉を真剣に受け止めるならば、私が探究するとか、私が表現するといったことについて、よく考えねばならない。
もちろん私は、ただ一人で私たりうるのではない。むしろ語りかける相手や、別様に語る他者がいてはじめて、私は「私」と言うことができる。
問題はおそらく、「歴史とは何か」というところにはないだろう。どのようにそれを語り、聞くことができるか、そこから何処へ向かっていくのか、ということが肝心なのだ。
どうか聞かせてほしい、「あなたのいる歴史」はどのようなものだろうか。