塚本邦雄(つかもと くにお 1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。作家(歴史小説家)の塚本靑史は、長男で只一人の著作権継承者。
人 物
滋賀県神崎郡(現東近江市)五個荘町川並に生まれる。母方の祖父・外村甚吉(とのむら・じんきち)は、近江一円に弟子を持つ俳諧の宗匠だったという。
1938年、神崎商業学校(現滋賀県立八日市高等学校)卒業。又一(現三菱商事RtMジャパン)株式会社に勤務。兄春雄の影響で作歌を始める。
1941年、呉海軍工廠に徴用され、後日地元の短歌結社「木槿」に入会(1943年)。終戦の年、投下された原爆の茸雲を仰ぎ見た記憶がいつまでも残ったと言う。戦後、大阪に勤務。
1947年、奈良に本部のあった「日本歌人」に入会し前川佐美雄(1903年2月5日 - 1990年7月15日)に師事。1948年5月10日、「青樫」の竹島慶子(1926年2月10日 - 1998年9月8日)と結婚。山陽地方に転勤。翌1949年4月9日、倉敷で長男靑史誕生。松江へ転勤となり、鳥取在住の杉原一司(1926年 - 1950年)と同人誌『メトード』を創刊。
1950年、一司が他界。彼を追悼した第一歌集『水葬物語』で1951年にデビュー。中井英夫や三島由紀夫に絶賛される。1952年に大阪へ転勤となり、東大阪市南鴻池町(当時は中河内郡盾津町)へ転居する。そこが、終の棲家となる。
1954年、結核に感染したことが判明し、大東勝之助医師(1923年 - 2009年)の指示に従い二年間自宅療養に専念して克服する。回復後も、商社勤務をつづけ、1956年、第二歌集『装飾樂句』(カデンツァと発音)、1958年、第三歌集『日本人靈歌』を上梓。以下二十四冊の序数歌集の他に、多くの短歌、俳句、詩、小説、評論を発表した。歌集の全冊数は80冊を越える。
だが邦雄の業績で一番特筆に価するのは、1960年代、岡井隆(1928年 ~ )や寺山修司(1935年12月10日 - 1983年5月4日)と前衛短歌運動を展開して成功させたことである。「日本歌人」から離れ、永らく無所属を貫いていたが、1985年に短歌結社『玲瓏』を設立し機関誌『玲瓏』を創刊する。以後、(没後も)主宰の座にある。
牧師で倉敷民藝館館長であった叔父外村吉之介(1898年 - 1993年)の影響で、聖書を文学としてこよなく愛読した。だが、終生無神論者であった。
塚本邦雄の生年については、1922年(大正11年)説が根強くあった。いや、尚も存在する。これは中井英夫(1922年9月17日 - 1993年12月10日)が、31歳(1951年)当時の邦雄を、20歳代歌人として強引に紹介したためである。それゆえ、二歳若くして載った経歴が孫引きされつづけ、その結果生まれた俗説である。
また、彦根高商卒なる学歴(このような事実はない)も、他人による同様な作為らしく、本人が書いた履歴書には、1922年生や彦根高商卒の記載は一切ない。
塚本邦雄を語る場合、この二項目をクリアしているかどうかが、研究者(レポーター)の掘り下げ具合の深浅度を示すバロメーターと言えよう。その意味での研究の第一人者は、島内景二(1955年7月15日 ~ )で、安永蕗子、岩田正、坂井修一らの当を得た短歌解説は評判がある。また、松岡正剛の『千夜千冊』(遊蕩篇・1270夜)にある異色な塚本邦雄論も見逃せない。
邦雄は1998年9月8日、妻慶子に先立たれて、2000年7月には自らの健康を損ねた。そのため、晩年を慮った息子の靑史が帰省。同居して最期を看取った。
塚本邦雄の忌日は、『神變忌(しんぺんき)』と呼び慣わされ、当日(に近い土日)玲瓏会員によって、歌会や大々的な研究の会が催されている。
塚本邦雄の没後、遺族によって資料の整理がなされ、2009年1月末、東大阪市南鴻池町にあった邦雄の蔵書、直筆原稿、愛用品や書簡などの遺品は、現代日本詩歌文学館(〒042-8503 岩手県北上市本石町2-5-60 館長篠弘)へ寄贈されている。また旧宅も、2013年7月に遺族の手で処分された。
※邦雄についての参考書籍:齋藤愼爾編『塚本邦雄の宇宙』2005年(思潮社)や、弟子の楠見朋彦著『塚本邦雄の青春』2009年(ウェッジ文庫 ながらみ書房主催の前川佐美雄賞を2010年に受賞)。また、塚本靑史が『短歌研究』(短歌研究社)の奇数月に連載していた『徒然懐旧譚』 → {2017年6月全集の月報などを加えて『てはるかなれ』(短歌研究社)として上梓} や靑史著『わが父塚本雄』(白水社2014年12月)などがある。
他に弟子は、島内景二、塘健、山城一成、江畑實、阪森郁代、和田大象、林和清、尾崎まゆみ、小黒世茂、大塚ミユキ、松田一美、佐藤仁、魚村晋太郎、小林幹也、森井マスミなど。近畿大学教授としても後進の育成に励み、またそれ以外にも北島廣敏、笠原芳光、酒井佐忠、橋本治、北村薫、中条省平、茅野裕城子、山口哲人ら多くの信奉者(ファン)を得た。
注)処女歌集『水葬物語』は限定120部だったため、現存するものは少なく、古書店では¥700,000近くの値が付いている。ただ、2009年に制作当時と同様に手間をかけた(活版印刷、合紙入り、和綴)精巧な復刻版が出て、原本に極めて近い雰囲気が楽しめるようになっている。¥4,000(税・送料別)書肆稲妻屋刊
※ 御希望の方は、「問い合わせ」をクリックして、塚本靑史宛にE-mailを下さい。
注)塚本邦雄の著作の一覧および在庫の有無については玲瓏本誌またはこのホームページの「塚本邦雄 著作一覧」を御覧下さい。
作 風
とりわけ反写実的・幻想的な喩とイメージ、明敏な批評性に支えられたその作風によって、岡井隆や寺山修司らとともに、昭和30年代以降の前衛短歌運動に決定的な影響を与え、その衝撃は坂井修一、藤原龍一郎、中川佐和子、松平盟子や加藤治郎、穂村弘、東直子らのニューウェーブ短歌にまで及んでいる。よく知られた歌に
「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」(『水葬物語』巻頭歌)、「突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼」(『日本人靈歌』)、「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」(『感幻樂』)など。作品は一貫して正字歴史的仮名遣い(旧字旧仮名)を貫いた。
受 賞 歴
・1959年『日本人靈歌』で第3回 現代歌人協会賞 受賞
・1987年『詩歌變』で第2回 詩歌文学館賞 受賞
・1989年『不變律』で第23回 迢空賞 受賞
・1990年 紫綬褒章 受賞
・1992年『黄金律』で第3回 齋藤茂吉短歌文学賞 受賞
・1993年『魔王』で第16回 現代短歌大賞 受賞
・1997年 勲四等旭日小綬章 受章
登録商標
塚本邦雄の名は対象商標・第4556414号 第16類&第41類 として登録済。
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商標権者は塚本靑史。
作品についてより詳しくは、玲瓏誌の最新号やこのホームページの「塚本邦雄 著作一覧」をご覧下さい。