残余のような何ものかの漂い。
「ザ・マスター」は私が信頼している映画通の先輩でもあり、友人でもあり、仲間でもある人の勧めで観ることになった。
元々、ポール・トーマス・アンダーソン監督作品は好きなので、期待して観たのだが、太鼓判を推された為にハードルが上がったのか、私の中ではそこまでクリーンヒットはしなかった(それでも、素晴らしい映画には間違いないのだけど)。
ザ・マスターを観た後に、早速先輩に感想を送った。
それからメールでの映画談義が始まったわけだが、この作品で自分自身のついて分かったこともあったし、談義する中で作品の素晴らしさを一層感じ、収穫が大きいものとなった。
やはり人間の内面に迫っている映画でないと、圧倒的な映画は作れないのである。上っ面な映画は至極つまらなく、そもそも映画化する意味はないんじゃないの?とまで思うが、本作はそんなことは一ミリも思わない。人間という生き物を今一度強く考えさせられる作品である。まだ、未見なら時間がある時に見て欲しい作品の一つ。
この物語には、映画的な山もなければ谷もない。
主人公が変化するかというと変わらない。
何か目的も達成するわけでもなく、ただ主人公は主人公であり続ける。
作品であるからこそ、エンドがあるが、人生はそうではない。どれだけハッピーなことがやってきても、どれほどのバッドなことがあっても、ただただ死ぬまで続くのである。
そのずっとぐるぐる続く人生を見せつけられたような映画。
行き場のない自分の中にある何ものかがただただそこに漂っている。
主人公が発する「わからない」ということこそがすべてを物語っているのではないか、とも思う。
最新のカメラで撮っているからか、本当に繊細な映像で、登場人物たちの表情は解像度が高い。
脚本が全てと言われる映画の中で、機材の重要性も思い知らされた。
ひたすら勉強になった作品。