1994. France,Swiss and Poland.
Director : Krzysztof Kieslowski







いつしか年越しはカウントダウンや世間のイベントには参加せず、独り寂しく映画を観て過ごすのが習慣になっている。


2016年の年越し映画は、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の「トリコロール:白の愛」。


キェシロフスキ監督はドキュメンタリー作品から劇映画まで素晴らしい作品を作るポーランドの巨匠。

初期作品は共産党の制限がある中での製作だった為、自由度が低かったというが後期作品は自由度が増した為素晴らしい作品が多い。

代表作には、「デカローグ」「ふたりのベロニカ」「トリコロール三部作」がある。


三部作といえば何を思い出すだろうか?


バック・トゥ・ザ・フューチャーや指輪物語ら辺を思い出す人もいるだろうし、パラダイス三部作やアレックス三部作、浪漫三部作を思い出す人もいるだろう。

何れにしてもキェシロフスキのトリコロール三部作を観れば、三部作と言われてすぐ思い出す作品の一つになることは間違いない。未見の人には是非お勧めしたい作品の一つでもある。


そのトリコロール三部作では各作品にテーマがあり、「青の愛」=「自由」、「白の愛」=「平等」、「赤の愛」=「博愛」だという。何も考えずに観ても見応えはあるが、各テーマを念頭に置いて鑑賞するとまた面白い。


トリコロールの3作いずれも「愛」という言葉がある。

辞書を引くと

①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり

②男女間の、相手を慕う情。恋。

③ある物事を好み、大切に思う気持ち。

④個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい気持ち。

⑤キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を同じようにいつくしむこと。

⑥仏教で、主として貪愛のこと。自我の欲望に根ざし解脱を妨げるもの。


一般的な意味で使われるのは①、②と思う。

各々の生活の中で「愛」は感じ得られるし、意味も違ってくるとは思うが、ラブストーリーと言われる種類のものは男女間の「愛」が多く、②の意味が親しみやすい。

その「男女間での愛」では、多くの人が「別れ」を経験すると思う。

別れた後、相手の大切さに気づくこともままあること。


多くの人が経験したことがあるからこそ、「大切なものは失ってから気づく」というフレーズは世の中に有り触れている。素敵でもなんでもないがそこにはその体験をした当事者でなければ感じ得ない感情や刹那的な美しさがある(と思う)。


戻って「白の愛」では簡単にいえば主要登場人物の両者が「大切なものは〜」の体験をして、平等になるという構図になっている。

文字にしてみるとそんなに素晴らしいとは思わないが、本作品は物凄く純愛(純粋な愛)な物語である。


キェシロフスキ本人が語っているが、白の愛はコメディになるように作ったらしい。確かにコミカルな状況が多い。ただ、大笑いするような種類のコミカルではなく、口元が少し緩むような種類のコミカルである。


「愛」をテーマにした創作物は世に五万とあるだろう。小説も然り、音楽も然り、絵画も彫刻。映画もその中の一つである。

「愛」と言っても、色んな愛がある。臭いことを言いたいわけではないが、人それぞれの愛の形があり、愛の定義がある。


私が思うに「愛の絆」をテーマに扱った創作物では、愛する二人の間に無理難題な障害を置いて、障害を乗り越えて愛を確かめる的なものがセオリーと思う。障害を置くことで、二人の愛の強さを視覚化しているのだと思うのだけれども、視覚化しても当事者の二人だけにしか分からない愛というのもある。


で、「白の愛」は後者。決定的だったのは、ラストシーンの手話。これは(映画の中で)二人にしか分からないコミュニケーションである。


私自身、手話は全く知らないので、見終わってから調べてなるほどな、と思った。意味を知ってからもう一度観てみるともっとこの作品を好きになる。


勘違いかもしれないが、日本映画では純愛(単純な愛)のハッピーエンドな物語が多いように思う。複雑な愛=面白い、というわけではないのだが、人間の内側に迫っていないとどうも映画体験として陳腐なものになってしまう。

(最近の作品だと「さよなら渓谷」は良かったが)


「白の愛」でもそうだが、ただ愛するとか幸せになるとかプラスに感じ得るものではなく、悲しみや苦しみがあり、その中に幸せを感じる瞬間がある愛の形を緻密に描いているヨーロッパ映画にやはり惹きこまれてしまう。


どういう経験をしたら、こんな繊細な映画が作れるのだろうと圧倒されるものばかり。

日本映画でもそういう作品を作りたい。