2012. France, Canada
Director : Xavier Dolan







初めて観たのは2013年、冬頃だったと思う。

雷に打たれたような衝撃を受けた。

当時、同い年で(正確にはドランの方が一つ年上だが)こんな映画を作る人が世界にいるのか、と驚愕した。

まだイベント会社でサラリーマンをしていた頃である。

劇場公開中に何回観に行ったことか。

サラリーマン当時でも、休みを利用して自主映画に関わっていたので、この映画がどのくらい凄いのか、どのくらいお金がかかっているのかはなんとなく分かってはいた。

こんな奴がいるのか。ただその言葉しか出なかった。

この映画を観た月に映画と心中しようと会社に辞表を出した。



話は変わって、私は学生時代ずっと没頭していたことがある。

それは靴作りだ。

なぜか?と聞かれると、単純に世の中にある靴のデザインより私の方が良いデザインの靴を作れると思ったからである。高校の時からノートに書く落書きは自分で創作した靴の絵だった。

旧友に会うと靴職人辞めたの?とか今でも靴作ってる?とか聞かれ、その都度映画の道に進んだことを説明する。たまに会う友人が当時作ってあげた靴を履いていると嬉しく思う。


学生当時、アルバイトや奨学金などのほとんどを靴作りに投じた。サークルにも入らず、友人たちが長期休みを利用して旅行に行く中、あくせく靴を作って、展示の機会をい窺っていた。

家は材料だらけで、工業用ミシンも2台買い、作業台なども工房そのもの。

大学一年生の夏には、靴工房に弟子入りし、自身の靴のオーダーやグループ展などを開くなど積極的に創作していた。運良く、一度だけ表参道ヒルズにて展示してもらう機会もあった。

作品制作系の学科の学生は、卒業する際、論文の提出ではなく、作品の提出だった。いわゆる卒業制作である。私の卒業制作の題目は「映画の登場人物から着想を得た靴の製作」というものだった。

それほど没頭していた靴作り。

なぜ辞めたのか。


色々な要素が絡み合っての決断であったが、大きな理由は2つあった。


一つは、ある日ふと頭の中に舞い降りたのである。

豚や馬、牛、ダチョウなど動物を殺して、その皮を革にして、人間が「これは良い革だろう?」とか言って、ステータスなんかにしちゃって、それってすごくエゴイストで、すごく残酷だな、と。

そういう考えが舞い降りたのである。

人間のしょうもないエゴの為に、動物を殺して靴を作っているのだ、と。

そう思えた瞬間に「俺は何をしているんだろう?」と。

一気に砂漠に立たされた気分になった。

何もないのだ。

私たちが食事をする時はテーブルに上がっている料理、つまり殺された動植物たちの命に対して「いただきます」と感謝する。キリスト文化でも祈りを捧げる。

靴を履く際、買う際はどうか?

この靴の革になっている動物たちに感謝して「ありがとう」「履かせて頂きます」なんて言うだろうか?

靴を買っても「この革がー」「この履き心地がー」「かっこいいだろう?ー」ぐらいじゃないかと思う。

ま、極端な例だけれども、根本的にはそんなことを思った。


今までしてきたことが積分されない、虚無感に襲われた。

すべて無くなってしまったのだ。


二つ目は、靴作りでは何も変えられないし伝えられない、ということ。

靴作りを通しても、もしかしたら何か変えられて、何か伝えられるかもしれない。今はそう思うし、その境地に達した者しか分かり得ないのかも知れない。

当時は、単純に何もしていないのと一緒だなと感じた。


で、なんで映画を選んだか?


わたしは幼い時から絵を描くことやものを作ることが好きだった。

一人で遊ぶことが多く、家で動物図鑑や昆虫図鑑を見ながら絵を描いたり、妄想に浸って意味もわからない工作をしたり。

今、振り返っても友人・知人たちがする芸能人やテレビの話などには全くついていけず、羨望の眼差しで見ることが多かった。

そして、よく学校を休む子どもだった。

病弱で、本当に学校に行けない日もあれば、何となく学校には行きたくない気分の時があって、その都度親に「今日休んでいい?」と聞くと「明日行くならいいよ」と言ってくれた。

全くいい両親で幸せだ。


学校を休む日は決まって、父親が仕事のお昼休みを使ってTSUTAYAで借りてきた数本の映画を持ってきてくれた。

その数本を一人で観て1日を過ごすのである。

なんで主人公を助けないんだ!

なんで裏切るんだ!なんで気づかないんだ!

なんで二人は好き合っているのに結ばれないんだ!とか色々感じていた。


一人で「ベティ・ブルー」を観た時は、ひどい脱力感に襲われ、愛するとは正しいことだけではないんだ、となんだか知らない世界の沼にズズズと体が沈んでいくような感覚を持った。

だから(というと言い訳がましいが)、わたしにとって映画はずっと近くにあった。

何気なく自分を自分たらしめる存在が映画だったと、今振り返ってみるとそう思う。

そういうことで、私にとって何か描くことや何かを作ることが、映画とそれを観る自分との関係性のように、大切なコミュニケーションと化していたのかもしれない。

私は靴に没頭するより先に、映画が私の一部になっていたのである。


こんなにも自分の内側の話を大っぴらにするのは、なんとも気持ちが悪いものだ。

好きな映画はたくさんあるが、「わたしはロランス」ほどショックが大きかったものはない。


「わたしはロランス」という映画に合わなければ、自分の眼の前に突如出現した大きくて分厚い壁をよじ登ろうともしなかったかもしれない。


今は壁の半分も登れていないが。

いずれ。