「キーくん、まだぁ?」
クローゼットの前で、キーくんのキーくんによるキーくんのためのひとりファッションショーが始まってから早一時間。クローゼットの周りには引っ張り出されては放られた服が山積みになっており、ショーの激しさと長さを物語っている。
怒涛のカムバックが少し収まり、与えられた僅かな休日。久々に出掛けよう、と君を誘ったのはこれより三十分前。合計一時間半、鏡とクローゼットを見比べてはくるくると身を翻すキーくんをベッドに腰かけて眺めている。最初の三十分は、悩んでる姿も可愛いな、その服お気に入りだよね、そっちのジャケットならインナーはこっちがいいね、なんて楽しんでいたが、一時間を越えたあたりから、気の長い方ではあるもののさすがに堪えてきた。こうしてる間にも俺たちが買い物(デートともいう)に出掛けられる時間は刻々と減っている。ねえ、俺はやくキーくんを隣に置いて街を出歩きたいんだけど。お互いバレないように、でもちょっと見せつけたりなんかしながら、またお揃いの服とかアクセサリーとか買いたいんだけどな。
「これからメイクもするんでしょ?俺、干からびちゃいそう」不満気な声でぱたぱたと足を揺らして急かしてみる。
「うるさいな、僕はヒョンとかミノみたいに顔がよくないんだから、服もメイクもちゃんとしなきゃいけないの!」
キーくんは目尻をきゅっと上げて俺を睨みつけた。まだ整えられていない眉がぎゅっと寄せられる。
ちがう、そんな言葉を言わせたかったわけじゃない。
「何言ってるの、キーくんはかっこいいよ」
「よく言うよ、オニュ兄と僕は"カット"したくせに」
キーくんは思い切り顔を顰めて舌を出した。鼻に皺を寄せて目をぎゅっと瞑った顔は、お世辞にも「いい」とは言えない。
「あれは演出じゃん!」
カムバックと共に数ヶ月前に収録した“地下三階”での企画。メンバーとルックスを比べることになり、俺はテミナの「愛嬌」を押し退け、ミノの前に収まった―――既にテミナとミノに弾かれ、苦笑しながら身を寄せあっていたオニュ兄とキーくんを、酷く雑に"カット"して。
「演出。はあん、さすがジョンヒョン“名”プロデューサー。見事な手腕ですこと」
キーくんは服を腕に抱いたまま、冷ややかに俺を見下ろして鼻で笑う。たらりと背中を汗が伝う感覚に、地雷を踏み抜いた爆発音が頭で響く。まずい。非常にまずい。
この不穏な空気を振り払おうと口を開きかけた瞬間―――目の前のキーくんが口を噤んだまま俯いていることに気づく。
「・・・キーくん?」そろりと顔を覗き込み、服を抱く腕に手を伸ばす。さするように這わした手は振り払われず、ただ押し黙ってしまう。
「・・・僕は、ヒョンの隣に並んで、指をさされたくないんだ。なんであんなのと、って、ヒョンを見られたくないの」
一瞬の沈黙の中、ぽそりと落とされた言葉に、後ろから頭を殴られたような感覚が身体を走った。
―――わかってない。なにも。キーくんはなにもわかっていない。
キーくんはよく「顔を服で誤魔化している」と言ったり、コンプレックスだという目を強調させるような濃いメイクを好む。好きなブランドの服で着飾る姿も、メイクで変幻自在になるのも悪いとは思わない。好きなことを好きなようにしているキーくんはきらきらと輝いていて、とても綺麗で見とれてしまう。だけれど、お風呂あがりや寝起きの、なにも纏っていないありのままの君が好きだとも思う。ファッションリーダーだラグジュアリーブランドが似合うだの言われている陰で、そのままの君が好きだという声があることを知ってる?俺だけじゃない、君以外の皆はもうわかっているんだよ。それなのに、どうして君だけがわからない?
キーくんは自分がどんなに美しいのか、全然わかっていない。でもそんな君だから、殊更に輝いて、周りを一切寄せ付けないほど唯一無二の存在になる。誰にとっても、俺にとっても。
「ごめん、嫌な思いさせたね」
誰よりも綺麗な、君のつるんとした額にキスを落とせば、潤んだ瞳を震わせながら自信なさげに顔をあげる。他の人の目なんか気にしないで、目の前の俺だけ見つめてよ。頑固な君に理解させるのは至難の業だけど、その分俺が君に全身全霊で伝えてあげる。疑う余地もなく自惚れてほしい。
ごめん、ともう一度小さく謝る。腕に添えていた手をキーくんの頬に滑らせれば、さっきまでの悲しげな瞳はどこかに消えて、にぱーっ、と口角をあげた。
「僕、新しいジャケットが欲しいんだよねえ」
悪いと思ってるなら買ってくれるよね?なんて、可愛く、わざとらしく”おねだり”する。引っかかった!とでも言わんばかりの切り替えの速さに、さっきまでの振る舞いがすべてキーくんの計算のうちだったことに気づく。
しおらしく俯いたかと思えば、小悪魔みたいに笑う。ころころと変わる態度と表情にこんなにも惹かれてしまう。
俺の負けでいいよ。だからさ、
「キーくん、出掛けるのやめよっか」
「えっ」
不安げに君の瞳が揺れる。おしゃべりなその唇より饒舌に、真っ黒に潤んだ瞳が「怒らせちゃった?」と問いかける。上がっていた口角が徐々に下がっていく。
ああ、かわいい。
「出掛けるよりも、キボマを堪能したいなって」
舌舐めずりをして目を細めれば、キボマがごくりと喉を鳴らした。ぼみ、俺のこういう表情好きだよね。
呼び方を変えるのは、二人の時間が始まるとき。二人の関係が変わるとき。突如切り替わった空気に耳鳴りがする。
「ねえ、キボマ」
キボマは綺麗だよ。俺が出会ってきたなかで、これから出会うなかで、誰よりも綺麗だ。
ちょっと小さめで涼やかな一重の目も、眉尻がすこし欠けた濃い眉毛も、ツンと上向いた薄い唇も、白く透き通った陶磁のような肌も、出会った時から俺の視線を捕らえて離さない、真っ黒で凛とした瞳も。
「俺は、そういうのが好き」
いつかこんな曲を作ろう、と頭の片隅にメモを書き置いて、柔らかなベッドにゆっくりと君を押し倒した。