はじめまして。総合政策学部1年の池沢友里です。この度はコラムを読みに来てくださりありがとうございます。いつも読んでくださる方、初めて読んでくださる方、さまざまいらっしゃると思いますが、私のコラムをご覧くださることは何かのご縁があると感じます。
みなさまがこのコラムをたまたま読んでくださっているように、私とBFCとの出会いも突然で、偶然でした。サークル紹介が私とBFCの最初の出会いでありますが、数々のサークルが紹介されるなかで、私は「ボランティア」に興味が惹かれました。立場の弱い人たちを助けたいから、という理由ではありません。それ以前に立場の弱い人とはどのような人たちを指すのか、またどのような状況に置かれているのか、私は何も知りませんでした。でも、BFCの紹介ビデオの「あなたの守りたいものはなんですか。」の言葉とともにスクリーンに映るフィリピンの子どもたちの笑顔が私の琴線に触れました。その子どもたちは決して裕福な暮らしをしているとは思えない身なりであっても健気に笑っている、その子どもたちとともに活動するBFCの方々の姿は私に新しい生き方を見せてくださいました。自分のことだけを思い生きるだけでなく、だれかのことを思い生きることがどれほど尊く、難しいものか、今気づき始めています。
生活の一部にBFCがあるということは、BFCで支援しているフィリピンの子どもたちのことが心の片隅にあるということです。それまでの私の生活では、おなかいっぱいで食べられないものは仕方なく残していたり、まだ使えるものやリサイクルできるものをそのまま捨てたりしていました。先日、賞味期限が切れたサラダを捨てようとしました。そのとき、脳裏にあのフィリピンの子どもたちの笑顔がよぎりました。フィリピンのスラムで暮らす子どもたちが一日一食の食事で生きていること、教会やボランティアの配給を受けながら必死に生きていることをBFCで知りました。それを知っていながら、一袋のサラダを捨てることにとても抵抗がありました。そのサラダをフィリピンに持っていくことはできません。そのサラダを捨てたとしてもフィリピンの子どもたちに害があるわけではありません。だけど、このサラダが何人の子どもの命を救うことができるのか、考えると私の行為は愚かなものであると感じました。それから、生活の中でできるだけ無駄を減らすことを心掛けるようになりました。BFCに、フィリピンの子どもたちに出会わなければ、自分の生活をまじめに見直すことはなかったでしょう。
ボランティアとは誰かのために何かをするだけではないのです。ボランティアから学べるものは価値あるものだと、BFCに携わってからとても感じます。人に何かをしているように見えて、ほんとうは私が成長させてもらっているのだと強く感じます。ボランティアをすることで誰かを思うようになる。相手の気持ちを感じるようになる。BFCでの活動はそのようなことを私に教えてくれます。BFCが生活の一部にあることで、私は善く生きることができているのではないかと感じます。
読んでくださりありがとうございました。